僕は彼の名前は知っていたが、テレビ画面に映し出されたその彼の姿に、偶然にも出会った。
途中から見たのでわからないのだけど、ファインダーを通して、彼女を見ていた。表面的なものだけではなく、文字通りすべて。写真を撮られている彼女が交通事故に遭った場所で事故にあった時の世界を再現しているようだった。彼女はカメラを見ながら一緒に走った。撮影中、ノートとペンで筆談をする。『無事でよかったね』とか『カメラ見て』と。
そうして、彼らは歩いた。彼女の撮影の最後に、モデルさんが大好きな場所。よくぼーっとするという家の前の海が舞台になった。本当に自然体で海に花を投げていた。飛んで飛んで、ジャンプして。撮影が終わって、ノートにこんなことが書かれていた。『劇的に普通の散歩ができてよかった』そうやって、彼らは心を通わせながら写真でその瞬間を記録していた。
彼の親友(12歳の親友がいるというのは彼らしい)は『その人を見ているんじゃなく、そのひとの生き方を見ている。』斎藤陽 道氏のことをそう言った。
当時、小学生の斎藤陽道氏は聴覚に障碍あるが、聾ではない小学校に行き、やがて『会話を楽しんだことがないから、生きている価値がない』と思ったそうだ。そして自分の意思で、母親に話しをして、聾学校に行った。感動的に世界が変わった。。
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人が好き。
補聴器を取って、『見る』人になろうと思った
世界は感動にあふれている。もっと自由になろう。
自分にしか見えない輝きを見つけよう
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僕も思った。写真を撮ることで、その人の生き方をみたいなって。外見がどうのとか、夢はなにとかそういうことだけじゃなくて、些細なことでいい。いつもコーラを飲んでるとか、朝はパンしか食べないとか、どんな音楽が好きで、一人の時何をするのが好きなのかとか、好きな場所はどこでそこでどんなことを感じているのかとか。本当にちいさなころ、お母さんと自転車に乗って(僕は自転車カゴのすぐ後ろにつけられた椅子に座っていた)、家に帰る前お腹が空いてたまらないらしく、そこのスーパーで買ったおせんべいを一枚だけ食べた。いまでも強烈に記憶に残っているし、そんなことが愛くるしくてたらなく思えることがある。全部に意味がある。その人が今まで生きてきて選んできたそのささやかなことたち。そんなことを写真を通して一つでも多く知りたいし、他の人にその愛おしさが伝わってくれたら嬉しいなって思った。
僕は誰とでもすぐに打ち解けられるようなタイプではない。それにすぐにカメラを向けるのは僕も緊張するし、いい表情を引き出すことも、心を通わすこともできない。だからその前にゆっくりとお腹をみたしながら時間を過ごした。余計に力の入った部分の力をそーっと抜くように。そうやってお互いの心の緊張をほぐしす。
撮影。新宿御苑を歩いた。いろんな話をした。ファインダー越しにいろんなことを聞いた。写真に写っていることがすべて。心の記録を一枚一枚、シャッターを押して残す。
彼女と、『劇的に普通の散歩ができてよかった。』僕もそうおもった。
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僕は『劇的に普通の散歩』がしたい。
劇的に普通の散歩をしながら、写真、撮らせていただけませんか。
あなたのまっすぐな生き方。いや、まっすぐなんかじゃなくて、くねくね曲がっていてもいい。あなたの生きてきた証。ファインダーを通して覗かせて欲しい。
僕の写真に興味を持ってくれたなら、まずはその気持ちを僕に投げてください。
僕は、その気持ちに精一杯応えるつもりです。
僕は、その気持ちに精一杯応えるつもりです。
斎藤陽道 HP http://www.saitoharumichi.com/index.htm
偶然出会ったテレビで斎藤陽道氏の番組で釘ずけになり、彼の写真に対する、世界に対する向き合い方に心が動いた。彼のHP見ると、ここで被写体募集をしていた。その文章がグッときた。
偶然出会ったテレビで斎藤陽道氏の番組で釘ずけになり、彼の写真に対する、世界に対する向き合い方に心が動いた。彼のHP見ると、ここで被写体募集をしていた。その文章がグッときた。
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