WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』
これは、僕の生きてきた証。
自信をなくして勇気が出なくなったとき『自信って自分を信じること』何回も自分に言い聞かせた。
あれは自分に向けた言葉。旅によって自分の生きる場所を小さいながらに見いだしてきた。
いろんなことがあった。楽しいことだって、受け入れがたいことも。
でも旅は僕を救ってくれた。僕の写真と言葉で大切に、勇気づけられると言ってくれる人がいるなら、
僕はあなたにこころを込めた贈り物をしたいと思います。
WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』(https://tabi-photo.stores.jp/#!/)にて、旅で見つけた宝物のメッセージポストカード、販売中。

2014年6月29日日曜日

懐かしのカオパット〜タイ屋台居酒屋 グオタイ 渋谷肉横町



今日はタイの路地裏にある屋台の雰囲気たっぷりのこんなところに行ってきた。


グオタイ 渋谷肉横町

ビルの二階だとは思えない路地裏感。

その奥に潜んでいるのがこのお店。



シンハービールに始まり、
いろんなものを食べたけど、

(あ、写真!と思って後から撮りました・・・)


カオパット(炒飯)が一番うまかった!
ちょっとレモンを搾って、あつあつパラパラのうちに食べる。





そういえば、タイでよく食べたカオパットを思い出した。

昔、タイのカオサンに行くたびに通っていた寺裏のカオパット屋。
いつも並んでいた。

つたないタイ語で

アオ カオパット クン! 
(エビの炒飯ください!)

なんて注文すると

そうするとおばちゃんは手早い手つきでフライパンをふってくれた。

食べ終わって、いつもわざわざおばちゃんに

アローイ!
(おいしい!)

そう伝えるのがのが好きだった。

その一言で眉間にしわが寄った真剣なおばちゃんの顔は
一瞬でしわくしゃになる。




今日食べたカオパットもエビがたっぷりと使われていた。

うまい。


なんだか懐かしくなった。
あの、カオパット。

そしてあのおばちゃんの笑顔。

2014年6月25日水曜日

ブッタとシッタカブッタが教えてくれたもの。



ほんとうに辛くて、

自分では、もうどうしようもないとおもっていた時期があった。

気分も落ち込み、

支えになって救ってくれたのは、こんな言葉。



ーーーーーーーーーー

悲しい時 いま 何ができる?
ひとりの時 いま何ができる?

寂しい時 悲しい時 何ができるかって

友達の都合のいい時なら会えるけど

夜中だったりしたらどうしたらいい?

どうしょうもないことを知らなくちゃ。

ひとりを楽しんでみるとか

いまはいまでできることしかできないよ

シャワーを浴びよう 音楽を聴こう

たいくつは悪いことじゃない

いま 何ができる? いま何ができる?
いま 何ができる?

ーーーーーーーーーー

ギタリストになりたいって?

今何ができる?

ギター弾くしかないよね。

小説家になりたいって?

今何ができる?

原稿のマス目埋めるしかないよね。

「…したい」「…なりたいって」悩んでいても仕方ないよね。

ホントになりたい人は
もう言う前にやってるよ

どんどん行動しているよ。

ーーーーーーーーーー

引用ここまで

ブッタとシッタカブッタという漫画の中で、ブッタ様のこんなことを言っていた。



今、何ができるの?





その言葉があったから、

僕は逃げ出したい、
腐りかけながらも、
ここで何が学べるのかを必死で探した。

販売、飲食店に関する ビジネス書を
毎日読んだり、

吃音であるのにも関わらず
僕は接客のある仕事をすることが出来ていた
これは、チャンス!

どもる以外のところで、
自分の接客でお客さんを幸せにする!

このために努力しよう。



それによって、
どうしょうもなかった自分から

つまらなくなってしまった仕事へのやりがいを
もう一度見いだした。

嬉しそうに世間話をしてくれる人が増えたり、
あら、あなたね。がんばってね。
いつもありがとう、そう言ってくれる人も増えた。

ただただ元気な声でニコニコ笑顔をしてるだけなのに。

やっぱり元気な笑顔は人を幸せにする。





今、何ができる?
壁にぶつかったとき、
できることが本当にないだろうか。



ブッタとシッタカブッタ ① こたえはボクにある 小泉吉宏  メディアファクトリー出版
ブッタとシッタカブッタ ② そのまんまでいいよ 小泉吉宏  メディアファクトリー出版


主人公のシッタカブッタがいろんな気づきを通して自分を知っていく4コマ漫画で構成されていて読みやすいです。

ぼくもシッタカブッタと出会って10年が経ちますが、未だにページを開きます。






たまにはこのかわいらしいシッタカブッタとブッタ様に
すがってみるのもいいかもしれない。

有給三連休を家で過ごす〜夢で見た北アルプス・西穂独票 テント泊

今日で連休二日目。

実は、僕は有給と代休と日曜を使い三連休有給を取って北アルプス入門編といわれる西穂独票でゆーくりテント担いでいこうと思っていた。


ところが・・・・
本題に入る前に、まずはこれ!

ーーー西穂独票登山情報ーーー

独票直下はアルプスらしい岩登りが体験できるみたい・・・そしてその先は西穂高岳写真ではどう見ても垂直に切れ落ちているようにしか見えない・・

気になる方、続きはグーグルへお尋ねください!!
写真で様子が分かると思います

新穂高温泉が登山口

新穂高温泉駅から第一ロープウェイ(4分)、第二(7分)ロープウエイを乗り換えて西穂高口までいく  往復2900円。

西穂高口ー西穂山荘までは1時間30分(下り1時間)
西穂山荘ー西穂独票1時間30分(下り 1時間)


または 
西穂山荘から上高地を起点に登山もできる。

上高地バスターミナルー西穂高登山口(25分)
西穂高登山口ー中尾根1時間30分(下り1時間)
中尾根ー西穂山荘1時間30分(下り1時間)


こちらの方が健脚向けです。
ーーーーーー


僕の予定は行きは、ロープウェイで上がり、帰りは上高地におりてくる予定でした。

というのも、6月はまだ新穂高温泉までの直通バスがなくめんどくさいからです!笑



まあともあれこの感じで行けば、
コースタイム的にも短いし、
時間的にも3日あれば余裕があるし、

テント一枚隔ててゆったりと大自然のもと自分の時間を過ごせたらななんて。

有名な西穂ラーメン食べて、
星空でも眺めて、

ぼーーーっとして。

そんな最高のリフレッシュ休暇にするつもりだった。

ところがところが。

神様のいたずら。

頭痛に始まり、関節痛、あつくなったり寒くなったり。

完全に体調を崩した。

連休の最初の二日間は完全にダウン。
たつこともままならなかったので、大量の汗をかきながら寝込んでいた。

夢の中では、北アルプスのおいしい空気をすってた・・・はずです 笑

病院も行ったし、
なんとか連休最終日で落ちついた。

まあ行ったとしても、
雨でどのみち山には入らなかったとはおもいますが、連休の締めにかさこ塾の皆様との懇親会。

なんだか、いい感じに充電出来た、連休でした。





2014年6月19日木曜日

生涯をかけて好きだと言えることが、何個できるだろうか。〜長野県菅平 ホテ ル マッキンレー

心地のいいホテル、長野県菅平のホテルマッキンレー。

そこのオーナーがとてもかっこよかった。



柔らかい鳥肉や、サクサクの白身魚のフライ。スープにサラダ。お代わり自由のご飯。


お腹いっぱい食べた後、コーヒーを頼むとコナコーヒーだと言う。
ハワイの原産で、とても高級ということは知っていたが、まさかここで飲むことになるとは思わなかった。

キャラメルのような匂い、味は、そこから想像される味を裏切ってさっぱり飲める味だった。

そんなコーヒタイムを満喫しながら、まったりした。



ふと気づくと、たくさんのギターがディスプレーされている横で、ロックグラスを持ちながら座っている一人の男性がいた。

ここのホテルのオーナーだ。



一緒にいた友人がバンドマンだったということもあり、
好きなギターのことなどいろいろと話してくれた。

友人曰く、かなり貴重なギターばかりだという。

そのすごさがわからずに残念!



聞くと彼は、プロのジャズギタリストということだった。
年齢を70と言ったが、それを感じさせない。

ホテルには音楽ホールもあり、
今でも定期的にライブを行っているらしい。


写真とってもいいですか?

というと彼は、ロックグラスを持ち上げてポーズをとってくれる。
いいよそんなに撮らなくて・・といいつつさわやかな笑顔。




いろんな話を聞かせてくれた。

ギタリストでもありながら、
30歳で山にやってきた。

プロスキーヤーになるためだ。

それからの彼の多彩ぶりには本当に驚かされる。

様々な職も経験したと言う。

水中カメラマンや釣り師、ルアーの作り手(本も二冊出版している),ナイフ収集家。そして、ホテルオーナー。

陸上の審判でもあるらしく、翌日朝、彼は審判の服装で出かけて行った。

レストランには、バーカウンターがありセンス良くワインやリキュール類が並べられている。

ギターやルアー、ナイフが飾られているように、このお酒たちも、彼の趣味をきっと反映しているのだろう。



オーナーは70にもなるというのに、それを感じさせないパワフルさがあった。


彼は70年という年月をかけ、色々なことを経験し、今を生きている。

きっと今のホテルは自分の好きなことの集大成なのかもしれない。

音楽とスキーと釣りの仲間たち

ホームページには、そう、サブタイトルがつけられている。

生涯をかけて好きだと言えるもの、僕には何個できるのだろうか。



ホテルマッキンレー。


本当にいい人ばかり、
お母さんだって(オーナーの娘さん)、明るくて朗らかで、優しくて。

いつも気にかけてくれている。
おもてなしの人。


また、菅平に行く際は、泊まりたいと思います。

音楽とスキーと釣りの仲間たち
ホテルマッキンレー
http://www3.ocn.ne.jp/~mackinly/


2014年6月17日火曜日

菅平トレイルラン〜もうだめなんて思いながらも歩いては走って。


無事に完走することができ、
バスに乗る友人を見送くった
一人になった。

二日間思いっきり楽しんだ菅平トレイルランも
一人になって、ようやく終わったのかなと実感が湧いてきた

いよいよこの旅の締めくくり。





制限時間間でもう少し。

僕はまだまだ帰るまで時間があった
それなら最後の走者がゴールするまで、

芝生の気持ちいい会場の
ゴール前で、
ゆっくりと最後まで時間を楽しもう。

そう、思った。


そしたら、
制限時間を少しだけ残して、

最後の走者がやってきました。
と、実況。





奥さんと手をつないで。
大きな拍手とともに。

おめでとう。











思い返せば、本当にあっという間で楽しい日々だった。

人生で一番おいしいかも!
と思えるたこ焼きに期せずして、出会うことになり





パスタは無料だったので
何杯食ったのかわからないほど食べて
十分すぎるほどのカーボローディングをすることができたし(笑)
(*カーボローディングとはすごーく簡単に言うと、炭水化物を食べまくって使えるエネルギーを運動前に蓄えること)



トレラン講習会やコース説明で明日の状況を把握した。




そして、泊まったホテルマッキンリー。


本当にいい人ばかり、夕食も最高においしいすばらしいいところにだった。


鶏肉がとろけるぐらいに柔らかい
白身のフライもサクサクで自家製タルタルソースとよくあう


ご飯を運んできてくれたお母さんは、明るくて朗らかで、優しくて。

いろいろお世話を焼いてくれた。

オーナーは、ジャズシンガーで月に何度かはライブもやっている。
それでいて、70歳と言っていた。










その宿に泊まっている人たちとも
楽しく盛り上がることができ、
気持ち的には最高の状態で、
レース当日を迎えることができた。



レース当日。

僕は緊張の中、テーピングをし、ゼッケンをつけた。

走り出したらちょっこと北アルプスが顔を出していた。

牛がすぐそばにいた

ここからの登りはかなりきつい
そしてかなり長い





しかも浮き石ばっかり



それでもなんとか乗り切った。



そして小根子岳
友と再会。





ここからがすごかった。

下りなんだけど、コースがかなりテクニカルな様相。
細くて、
くねくね、
しかもでこぼこ

それでも急斜面。
体を前に出すと

ある程度スピードが出てしまう。

コントロールしながら

絶対無理しない
絶対無理しない

そう唱えながら走った。


最高のトレイルを楽しい想いもして
しんどい想いもして

もうだめだなんて思いかけながら

歩いては走って。




羊羹や塩あめ、
エナジージェルでエネルギーを取った

そして、怪我もなく、ゴールを突っ切れた。



僕は、できないかもしれないと思っていた壁を一つ破った。

走っている間は、どんなに苦しくても弱音はきそうになっても、
僕は絶対ゴールにたどり着くことができる。

そう信じきった。
呪文のように何回も唱えた。

自信。

やることを100パーセントやって来れた訳ではないけれど、
自分を信じ、一歩一歩進んでいったらゴールがそこにあった。


最後にゴールをくぐった彼も、
きっと、最後まで自分を信じていたに違いない

彼の奥さんもどんな想いで彼を待っていたのだろう

最後に手をつないで、ゴールをくぐった。

きっと、いろんな想いを押し切って
彼ならできる、そう信じて待っていたのだ。

だから最後、彼の手を取ったのかもしれない。


最高の二日間をありがとう。


























2014年6月14日土曜日

今日というこの日がやってきた。〜菅平トレイルラン&アウトドアフェス

今長野新幹線に乗っている。

昨晩は
明日から連休で山に行ける!なんて思ったら、
気持ちが開放的になり
ちょっとばかし(?)お酒を嗜み

二日間、部屋を開けるので
部屋の片付けもしたかったし
当然荷造りもしなければならない。

おたおた休憩ばっかりしていたのもあったけれど、

いよいよその日が明日だなんて思ったら
楽しみでなんだか落ち着かなかずに

ほとんど眠れぬまま
気づいたら朝だった・・・・

(子供かっっっっ!笑)



楽しみにしていた菅平トレイルランレース&アウトドアフェスタに向かっています。

今日はアウトドアフェスや前夜祭といったイベントが楽しめる。
明日の朝はいよいよエントリーしていた20Kの天空の回廊と言われるトレイルを走る。

今からほんとに楽しみ。

はっきり言えば、この日のために万全を尽くせたとは言えない。

それでも楽しみにしていた今日がやってきた。

それはそれで開き直って、


絶対に怪我をしない。
思いっきり楽しむ
完走する


今できること。

精一杯力を尽くしてこよう、そう思います。






2014年6月12日木曜日

できなかった自分を責めない〜いま何ができるの?いま何ができるの?



体幹が抜けてる、

以前から整体などでも言われていたことだけど
あの一月の怪我以来、病院のリハビリでもそう言われる。

山で不整地を歩いたり走ったりするとやっぱり必要なのは体幹、理学療法士がそう言う。
僕自身も、目をそらしてきたところではあるけど、そう感じる。

いままでも体幹トレーニングというのは本を買って
やろうとしたけど、結局続かなかった。

完璧を目指しすぎたのだと思う。
僕は何に対してもこうしなければならない、
そう思って、結局それができず、挫折してしまう
そんなことがあった


あのとき怪我をしてしまったのは体幹が抜けているからだ
僕は再び体幹を鍛えようと決めた。

体幹とは、手足頭をのぞいた胴体部分。

個人的な言い方ですが、これが強いとバランス感覚がよくなる。
体がぶれない。

テレビで見たけど、
バレリーナはいつまでも片足立ちができそうなぐらいに体幹が強い。

僕は片足立ちを最低でも30秒を5セット、病院の理学療法士に課されていた
本当に恥ずかしい話だけど、
最初は10秒片足立ちするのも、大変だった。

それぐらいに体幹が弱かった。

たとえその最低限課されたメニューをこなせなかったとしても

毎日、仕事中も暇があれば片足で立ち
お腹を凹ませてキープするドローイングをやった。

電車やバスに乗ると片足で立ったし
車を運転しているとき、事務仕事してるとき


少しでもいいからちょっとずつ。



テレビで、体幹の特集をしていて、
片足立ちで何秒間耐えられるのかで、体幹力何歳っていうのをやっていた。


あまり課された30秒以上、片足立ちをすることはなかったのだが
自分でもびっくり。

10秒も持たなかったのが、
3分は余裕でたてるようになっていた。

すごい。

なんでもそう
たぶんブログもそんな気がするけど、

これをこれだけやると、
決めたことは完璧にはできなかったけど

いま何ができるの?
いま何ができるの?

そう考えて
できることをちょっとづつでも
積み重ねていたら
結果がついてきた。

できない自分を責めずに、
できた自分を見よう。




2014年6月8日日曜日

神様が与えてくれたもの〜あなたのそのコンプレックスは人生を豊かにするた め の贈り物なのかもしれない



最近、ふっと。思い出した。

メディアなどによく紹介され、有名な話なので知ってる人も多いと思いますが、

アシュリーという女の子の話。


プロジェリアという早く老いてしまうという難病。


見た目に特徴があり、同級生からはは宇宙人、と心ない言葉をかけられることもあったという。
そんなことを言われ、どんな思いだったのだろう。

怒りとか
悲しみとか、

色んな感情が溢れていたかもしれない。

でも彼女はそういう時、
ちょっと待ってね、と、トイレに行くという。

深呼吸をして、そういう気持ちが落ち着いたら、またその友達のところに戻って行くという。



怒りをそのままぶつけない。




それは何にもならない。
ただの傷つけ合いにしかならない。







『プロジェリアという病気は神様が与えてくれたもの。』



彼女はそう言う。






僕は吃音だ。

ものすごく悩んだこともあった。

でもそれだけではない。


吃音だから経験できたことがある。
吃音だから出会えた友人がいる

吃音だから僕はここでブログを書いているのかもしれない。

僕は、吃音なんかでなかったら人生もっとうまく行くのに。
そう思っていたこともある。


それでも、


吃音でなかったらつまらない人生を送っていたかもしれない


そう思う。



吃音が僕に与えてくれたものは大きい。

これもまた、神様が与えてくれたものなのかもしれない。




アシュリー ヘギ。

僕が彼女の存在と出会った当時、彼女は10歳にもならない、小さな女の子だった。

そんな彼女が、
生きてきた短い時間の中で、
悩み苦しみ、
そして紡ぎたされた一つの答え。

本屋でたまたま取った本で
そんな彼女の言葉にはじめて触れた。


僕は、立ち尽くし、思わず涙が出てきてしまった。



僕は、彼女の言葉を自分なりに
噛み砕き、
心に刻み、
心の支えにしてきた。


しばらく忘れていたのだけど、最近ふっと思い出した。

忘れてはいけない大事なことだと思い、ここに書きました。

大切な心の備忘録。

2014年6月5日木曜日

大切な人が死んでいくたびに、アンコールワットへの想いが強くなっていく〜僕の旅の原点。戦場カメラマン一ノ瀬泰造が見たかったもの。






この静かな音楽を聞きながら僕の今日は始まりました

『地雷を踏んだらサヨウナラ』サントラ



僕を旅に駆り立てたもの

それは

『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画。

戦場カメラマン 一ノ瀬泰造の伝記的な映画。

そして、沢木耕太郎の深夜特急という本。


初めての旅、僕はタイからバスでカンボジア シェムリアップに向かった。
そして、今度は宿を取り、バイクタクシーに乗って、アンコールワットを目指した。

近づき、だんだんと


『あれだ』



そう思った瞬間、とてもこみ上げてくるものがあった。

『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画。

戦場カメラマン 一ノ瀬泰造の伝記的な映画。

彼はベトナム戦争当時、
クメールルージュの管理管制下にあったアンコールワットの写真を撮ることはできなかった。ところが、何度も管制下に立ち入り、写真を撮ろうとし、
何度もクメールルージュにとらわれ、フィルムを取り上げられている。

そんな時ですら、『アンコールワットを一目見て惚れたんだ。写真ぐらい撮らせてくれ』と銃を向けられるまで強く訴えている。


最初は、自分の写真があまり高く売れない中、そんな時代のアンコールワットの写真はものすごく高額で売れると知ったからなのかもしれない。
それでも彼は、いろんな想いが重なり、アンコールワットが撮りたい。そう想い、魅せられていた。

そんなアンコールワットはどんなところなのだろう。
彼の魅せられたアンコールワットが見たい。


泰造にはカンボジアに、高校で物理を教えるカンボジア人の親友の存在があり、
またその親友の家族も彼を本当ののように扱った。

そんな一見愛にあふれた楽しい日常。

それでも、
クメールルージュが国を支配している
戦争で人が殺し合っている

その二つが、愛にあふれた幸せな日常に
何とも言えない悲しみも、もたらしていた。


子供たちと遊び
泰造が部屋に戻ると、
激しい爆発音がした。

さっきまで子供たちと遊んでいたところが爆発している。

大切な人、ソッタが血まみれになって倒れている。
弟想いの優しいお兄ちゃんだった。

彼を失い
悲しみに暮れる泰造だったが、
目を瞑っていたソッタにカメラを向ける。
叫び、鳴き声、嗚咽、が飛び交うそこで

彼はどうしてもシャッターが切れない。




ソッタの弟、チャンナが、

いつかアンコールワットに行ったらパパとママに早く帰ってくるように言って

そう泰造に話していたことがあった。

そんな時、近くにいたソッタはとても悲しそうな顔をする。
それで泰造は悟った。ソッタのついた優しくも悲しい嘘を。


泰造は一度は国外追放されるも、死を覚悟し危険な橋を渡り、
もう一度命を賭けてカンボジアに渡った

親友の結婚式だった。
泰造に駆け寄ってくるチャンナ。
しかしそこには地雷が埋まっている。

彼は聴力を失っていた。

泰造の、『止れ!!!!!!』

必死の声はチャンナの心には届かない。
ただ、いつものように大好きな泰造のもとへ走って行きたかった。

そして、地雷を踏んでしまう。
また彼は大切な人をまた一人失った

『なぜアンコールワットかわからないが
大切な人が死んでいくたびにアンコールワットへの想いが強くなっていく
日本を出てからずっと探していたものが
あそこに行けばすべてが解決するような気がしてきたんだ』

地雷を踏んだらサヨウナラ

そういい残して、彼はアンコールワットに消えた。

彼がファインダーに収めたかったアンコールワット。
それはどんなアンコールワットだったのだろうか。


僕も泰造が見ようとしていたアンコールワットが見たい、その強い想い。

そして、沢木耕太郎の深夜特急を読み、そこから旅の仕方を学んだ。



きっと旅に十分なものは持った。



あとは旅をするだけ。

それが僕の最初の旅の原動力だったのかもしれない。

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