WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』
これは、僕の生きてきた証。
自信をなくして勇気が出なくなったとき『自信って自分を信じること』何回も自分に言い聞かせた。
あれは自分に向けた言葉。旅によって自分の生きる場所を小さいながらに見いだしてきた。
いろんなことがあった。楽しいことだって、受け入れがたいことも。
でも旅は僕を救ってくれた。僕の写真と言葉で大切に、勇気づけられると言ってくれる人がいるなら、
僕はあなたにこころを込めた贈り物をしたいと思います。
WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』(https://tabi-photo.stores.jp/#!/)にて、旅で見つけた宝物のメッセージポストカード、販売中。

2015年1月31日土曜日

知らぬ間に、好きが仕事になっていた。〜でも多分そういうことなんだと思う。



ポストカードが売れた。

こうして繋がったご縁を、できるだけあたたかいものにしたい。そんな想いで、僕は買っていただいた方の元へラブレターを丁寧に書いた。

僕は、去年ブログを始めた。好きなことを仕事にするかさこ塾でたくさんのことを学んだ。そして、それをきっかけに少しづつ行動を起こた。その、自分で決めて、行動したということが、かさこ塾に入って一番良かったこと。『好きなことをやって、ネットで情報発信し、人の役に立つ。』人の役に立つ代わりにお金が入ることになるのだけど、お金じゃない。人生の満足度を上げるための仕事、ライフワーク。僕は僕の好きなことでお金をもらうことが出来るかなんて想像できなかった。もしあったとしても遠い将来だろうななんて思った。ところが、このかさこ塾のイベント『かさこ塾祭』で初めてのイベント出展をした。僕はそれをきっかけに、旅写真と想いつづていた言葉をのせてポストカードを作ることにした。(それまでは名刺裏には印刷し、お渡ししていた)作り方なんか知らなかったし、プロから見たら笑っちゃうような方法でポストカードを作った。ただA4のページにポストカード大の枠を二つおいて、そこに写真と言葉をのせた。そしてそれを、一つ一つ、断裁機で切った、そんな風にして作った旅のポストカード、誰かってくれるとは思わなかったが、売ると言ってしまった手前、後に引けなかった。でもやってみたら、買ってくれた人がいた。僕にとっては、衝撃的事実だった。素敵な写真とか、いい言葉だとか、涙が出そうになった。そういってくれる人もいた。そういえば、名刺の裏に印刷してお渡ししていたときも、わざわざ携帯で撮影して待ち受け画面にしてますとスクリーンショットのメールを送ってくれた人もいた。喜んでもらえる、そんな実感があった。

自分の好きなことをして、喜んでもらった対価として、ほんのちょっとのお金と、何にも変えることの出来ない僕自身の喜びも得た。ライフワーク。そういう意味では、僕は知らぬ間に、好きを仕事にすることを実現していたのだ。

2015年1月28日水曜日

WEB STORE 『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』〜一番大事な北極星








北極星はどこにあるのか。


一番大事なこと。それが北極星。何があってもかわらないことは何なのか。ほかの星は絶えず回っていても、北極星だけはずっとそこにいる。

僕は、こんど簡単なWEB SHOPをつくり、ポストカードを販売することにした。大きく言うなら僕は自分のお店を持つ。助けてくれた人はいたけれど、僕がやるわけで、僕しかいない。そう、僕が店長なのだ。このお店がどうなるかはわからない。けれど、コアの部分で一番大事にしたいことを考えて書いておきたい。そう、僕の北極星をここに書き記す。

web store『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』は僕にとっての一つのコミニュケーションツール。僕のポストカードを買いたい、そう思って何かのご縁で興味を持ってくれた人が、注文してくれる。そして、僕がその気持ちをしっかりと受け止め、心を込めて作ったポストカードを一つ一つ包装して、気持ちを送り返す。

北極星。

僕と、あなたが、つながるきっかけがここにある。
できうる限り、伝えてくれた思いに精一杯こたえたい。
そして、こころを込めた贈り物をします。

ポストカードは、僕の生きてきた証。辛いとき、『いま何が出来るの』そう何回も自分に問いかけた。自信がなかったけど、自分を信じることなんだ、そう思ったら気持ちが楽になった。あれは自分に向けた言葉。自分のためのポストカード。旅によって自分の生きる場所を小さいながらに見いだしてきたと思う。旅が僕にもたらしたものは大きい。人生、いろんなことがあった。楽しいことも幸せなことも。自分がふがいなくて、悔しくて人前で泣いたことも、布団の中から出られないほど落ち込んでしまったことも。受け入れるのが大変なことだってあった。でも旅は僕を救ってくれた。旅でのいろんな出会い。人、景色、新しい自分。いろんな思いを込めて、大切に、僕の想いを届けたい。喜んでくれる人がいるなら。勇気づけられると言ってくれる人がいるなら。

僕の、web shop『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』。それは、僕が伝えられることを伝える場でもあり、そして、買って頂いた方の気持ちを受け取る場。僕は、ここで、あなたと、新しい人間関係を紡いでいきたいのだ。

そんなweb storeをここにオープンさせたいと思います。



https://tabi-photo.stores.jp/#!/

旅歩家 HIROSHI KIKUCHI



FACEBOOK  HIROSHI KIKUCHI(基本承認いたします。)

2015年1月25日日曜日

白い砂浜


芝生。広い芝生。
寝転がったら、芝生が白くて砂浜のようだった。光が当たっていて、その砂浜を綺麗に際立たせている。


芝生で横になっている間は特別な時間だった。すごく幸せだった。少しの間だけ、心の力が抜けた。

何も考えなくていい。
いま幸せを感じることだけを、頑張ればいい。



僕は、カメラを持って、いつものリュックを背負い、新宿を歩いたのだ。

人混み。それは孤独になれる場所。耳には様々な雑音、話し声、車の音。そんな音は全てBGMになる。

自分が全ての世界。
いろんなことを感じて、考えて、自分がなにか感じるものを見つけて、シャッターを切る。



なんだか、外国を歩いているようだった。とっても孤独で、でも嫌な孤独ではない。
少し歩いて、写真撮ったら、ブルックリンパーラーでゆっくり本を読んだり、ブログを、書こうかな、と想っていた。でも、すごく並んでいて、入れない。久しぶりに御苑前のボウルズカフェにいってみようかな、と思うけど、その小さな店内にお客さんがいっぱい入っているのが見える。他何件か当たったけど、どこも入れない。

そんな、一人の時間。


旅歩家 HIROSHI KIKUCHI




2015年1月24日土曜日

旅で、自分の嫌な部分に出会う。〜わからない。あの人が善意の人で、あの人 が 悪意の人だなんて。

旅で得たものは大きい。

でも、旅に出るようになって自分の嫌な部分も多く目にした。旅に出て僕はだまされないよう人を疑うことを覚えた。そして、たくさんの善意だったかもしれない人たちを疑って、傷つけ、邪険な態度をしてきたのかもしれない。だまされたくない、その一心で。

バイクタクシーにのると、降りるときに最初に交渉したときの違う値段を言われることがある。よくある手口ではある。本当にぼったくろうとして嘘を言っているのかも知れない。でも、本当は僕が状況がわからなくて、勘違いしていたのを『最初と違う値段を言ってきた』と思う状況にさせた可能性も0ではない。

わからない。人の心なんて。あの人が善意の人で、あの人が悪意の人だなんて。


去年の夏、ラオスに行ったときの話。ラオス人は穏やかで、旅で疑うことの多い僕も少しほっとしている。人を疑うって、疲れるのだ。小さいことはいすこしだけあったけど、そんなもんかと、受け止め、怒りに燃え上がることもなく、穏やかに旅を終わろうとしていた。ラオス、パクセーからバンコクに戻った。あとは空港に行くだけ。でも、あともう少しで旅が終わりということタイミングで怒り爆発が起きた。僕は、宿の場所を見失ってしまった。空港に向かわなくてはならないのに、荷物がそこにある。慌てた。少しイライラもしてきた。前にも泊まったことがあったし場所的に簡単な場所だった。完全に油断した。ここだと思っていた場所に帰ると宿がない。何度も行き来した。でもなかった。汗だくになりながら歩きまわったあげく、偏頭痛も出てきた。のども乾いた。ぼーっとしていて、意識朦朧。僕は取り合えず水を買うことにした。

水が買いたい。ゲストハウスの一階部分のフロント兼カフェみたいな雰囲気だった。時間も遅く、電気は少し暗くなっていたが、もう限界だった。目があった彼に、水が買いたいと伝えた。『この先にセブンイレブンがあるけどあそこは高い。ここで水を買えるのは本当にあなたはラッキーだと。』なまりの強い英語を流暢にしゃべった。そして彼は、僕がラッキーだと何度も繰り返した。もう僕は簡単な計算が出来なかった。値段を聞いて、こんなもんだっけ?とおもった。頭痛の芯が頭を突き刺したまま。疲れきってた僕はぼーっとして判断能力を薄く彼の言うままお金を出した。


ありがとうを言って、僕は去った。しかし、すごい違和感が残った。彼の言う通り、その先すぐにセブンイレブンがあった。その違和感を解消すべく中に入り値段を見たわけだけど、状況を察した。完全に不意打ちだった。ほんとうに些細な金額だし、小さなことではあったけど、怒りがこみ上げてくる。日本で買ったってあり得ないぐらいに高い。ほんとうに小さいこと。そう言い聞かせたが、僕はそんな小さなことで騙した彼が許せなくなってしまった。旅の疲れもあったのかもしれない。僕は彼のもとに戻ろうとする足を止めることはできなかった。顔を近づけ鼻と鼻をつきあわせた。彼は、なんだ、と言いながらも腰が引けていた。僕はしばらく沈黙の後、冷静に小さく日本語で、てめえふざけんなよ。小さいことでだましてんじゃないぞ、とすごんだ。手に持っていた水を彼の目の前で力強く指さした。彼は『水?はぁ?英語で言え!』と繰り返していた。僕は、『死ねよ』静かにだか言ってしまった。気づけば手に持ち上げていた水をおろし彼から離れた。


何がそこまで僕を怒らせたのか。『死ねよ』そんな言葉がでてしまうぐらいに。ただ、我慢できなかった。そんなちいさなことで。踏みにじられた。小さいことだからこそ許せなかったのかもしれない。騙す騙される。そんなこともある。でも、時に怒りを表に出すことは何にもならないこともある。誰を信じて、誰を信じないのかは僕次第だ。

旅で、騙されるたびに、もっとおおらかに物事を受け止められたらいい、そう思う。






写真は、ラオス ドンコーンにて。
水を懸命に運ぶ少年たち。

本文とは一切関係ありません。



2015年1月23日金曜日

ブログ初公開 ポストカード『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』全11種類、 近日WEBにて販売予定。


『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』全11種類、お見せします。

ただいま、近日オープン予定のWEBSTOREで発売準備中。

あと数日中には詳細、ご報告できると思います。







『逃げるところなんて どこにもなかった』
『これも現実 毎日が現実 旅は夢物語じゃない』
『自分なんか、もうダメだとおもっても 全部忘れて、その瞬間からやり直せばいいんだ。』
『大丈夫。 大丈夫は魔法の言葉

『今のボクに 何ができるの 何ができるの』

『まだ見えない、あの一瞬のために。 あきらめない、いつかはその一瞬がやってくる』
『君に、恋に、落ちた。』

『僕は歩く。 見たことのない景色をみたいから。 知らない自分を知りたいから。』


『旅は自分らしさを出す魔法だった


『自信。自分を信じて見る力。 前を向いて歩く力。』

『もっと自分を好きになれ』








旅歩家 HIROSHI KIKUCHI



2015年1月21日水曜日

受け入れる勇気を持つ〜ネガティブは時に人を傷つける凶器にもなる






僕が初めてポストカードを売ったときのこと。本当に不安でいっぱいだった。だって、自分の頭の中でイメージしたものがカタチになり、そしてそれが、人の目にさらされようとしている。そのとき、自分の写真を展示できるチャンスにも恵まれた。当日の朝、早めに会場に着き、写真の展示の準備をしていた。僕は写真をどう展示しようか考えあぐねた結果、写真をパネルにして展示することにした。しかし、残念なことに、パネルをきれいにカットできずにその展示される写真はきれいとは言えないと思ってしまった。




それでも、持って行った。そして、写真展示の準備のためにその、パネル写真を出した。そしたら、素敵ですね、とか、パネルに張るのもいいですねなんて声をかけてもらった。僕はきれいに出来なかった、という想いが強よすぎた。自分のこと信じていなかった。駄目なりにもここまでやったんだと自分をほめてあげることは出来なかった。せっかく素敵だと行ってくれている人がいたのに僕はその気持ちを真っ向から否定してしまった。素敵という言葉に対して『いやいや、パネルがきれいにカットできなくて・・』といった。『全然駄目です。』とも。僕はあとで、やってしまった、と思った。自信のなさで、そういうマイナスだと思う点に意識が行くことは仕方ないとしても、相手がせっかく素敵だと思ってくれた気持ちを否定して、自分のだめだという意見を押し通した。受け入れる勇気がなかった。いつまでたっても、人から認めてもらうことが出来ないのではないか。なぜなら、自分で自分を否定していたからだ。


きっと、ものすごく嫌な想いをさせてしまった。本当に申し訳ない。せっかく認めてくれていたのに。
相手を信じて、自分も信じて、たとえそのカタチになったものが自分では60点だとしても、素敵だと言ってくれる人がいたなら、それは受け入れる勇気を持つ。そんな風に感じた出来事。

2015年1月13日火曜日

ちいさな30歳の奇跡。〜誕生日に、軌跡を振り返る。

31歳。1月10日。僕にとっての新年が始まった。職場で
今まではそんなことはなかったのに今年に限っては、プレゼントとケーキが用意され、暗がりの中、おもいっきりろうそくを消した。一度で消したかったが何回かおもいっきり吹きかけなければ小さな火は消えなかった。そして、その夜も、これまたろうそくの刺さったケーキが出てきた。この日二度目。今度はろうそくの火を全部消すことが出来た。これで願い事が叶う。本当に嬉しかった。それから、今年はいろんな人からたくさんのお祝いのメッセージを頂いた。恥ずかしくもあり嬉しい。友達だったけど疎遠になっていたり、知り合いだけど、距離感があった人もいたが、ここ一年でぐっと近くなったと感じる人が何人かいた。おそらくブログを始めたことが大きい。ブログが面白いとかつまんないとか、そういうことではない。ブログをやることで、僕自身がどんどんオープンになっていた。ブログによって心持ちが変わったのだ。

僕は去年失恋をしたわけだけど、その当時はそんなことは誰にも言いたくなかった。でもブログをやっていたことで何かを更新しなければ、そんな想いもあって、迷った末に思ったままを書いた。(失恋であることは言わなかったが)そしてある場での自己紹介、失恋をネタにしちゃえ、なんてある方からアドヴァイスをもらったのでやってみた。そしたら、予想外に笑ってもらえた。出来ないと思っていたけど、出来た。吃音のことだって、僕は吃音ですなんて声高には言いたくなかった。でも僕の吃音は、話せばどもるし隠しようのないこと。状況がゆるすなら、話す前に僕はどもりますと伝えるようにした。そうはいっても吃音のことも書いてあるブログは知人友人にはさらしたくはなかったので最初はFacebookにも更新情報も流していなかった。あるとき、あまり自分のことを話せないクローズな自分を変えたいという想いが振り切れた。失恋がきっかけでいろんなことを感じるようになり、考え、ブログのこともFacebookにも書かなくてはいられなくなった。Facebookでつながってくれている友人たちは本当に素晴らしくて、尊敬出来る友人がいっぱいいる。自分のブログをシェアするようになるとそんな人達何人かにもブログいいねと言ってもらえた。会うと、ブログ読んでるよ、なんて言ってもらえる。

そう、そういえば数年前、ある仲間たちの話。僕は彼らのことを本当に素敵だなあ、尊敬するなぁなんて思っていた。本当に仲が良くて、みんな一人一人個性的ですごーくいいところがある。そのときは、ある目標に向かってみんな楽しみながらがんばっていたのだけど、そんなきっかけで彼らと出会えたことは本当に嬉しかった。そんな彼らとの飲み会。ある打ち上げの日。その目標を僕は達成できなかった。でもやりきった。そんな想いだった。それは関係ないけれど、その打ち上げではどうしても自分のことが出せなくて、うつむいてしまった。誰と話すわけでもなく、お酒ばかりが進んで、静かに食べ物を食べていた。よくあること。そんなときはきまって、自分のせいなんだけれど、そんな自分に絶望して、自分の殻に閉じこもった。言い訳ばかりが頭の中を支配する。そんな自分が恥ずかしすぎて、お尻の穴がむずむずしてくる(恥ずかしいときはお尻の穴にくるって僕だけ???)『しゃべんないの?』て言われるけど、もうしゃべることが出来なかった。でもその中のひとりが、

『そんなん私たちと仲良くしたくないと思ってるとしか見えないよ』

と。目の前が真っ白になった。違う違う。そうは言ったけれど、心まではきっと届かなかった。僕はどうしてもそういう状況になってしまうことがある。人の多い飲み会なんかだと特に。自分から一歩踏み出せない。酔っぱらってたのもあった。ちゃんと話せる時もあるし、明るく楽しくしている時もある。だから余計に誤解される気がする。僕は家に帰ると布団の中に全身を埋めた。真っ暗な闇。僕はここが一番落ち着く。小さいときからそう。大きく傷ついたり、心の冷静を保ちたいときはこの闇に入った。からだを丸めて出来るだけこじんまりと。心臓がバクバクして、胸がずきずきする。違うんだ違うんだ。仲良くなりたいんだよ。でも出来なかった。何度も自分を責めた。なんでうまくしゃべれないんだろうって。ほとんど泣いていた。心が悲鳴をあげていた。でも何日かたって、友人が『そんな優しいこと言ってくれる人なんていない』そう教えてくれた。ほんとうにそうだった。あのとき彼女は思っていることをちゃんとぶつけてくれていた。



自信。自分なんて全然信じていなかったし、自分なんか何もないと思ってた。でも、失恋がきっかけになって悔しい想いをして『自分を変える』そう決めたんだった。そんな大好きな友人たちとも去年久しぶりに会えた。もっと自分のことオープンにする。ブログも毎日できなかったとしても、毎日更新のつもりで続けよう、そう決めたんだった。続けることが大事。そして、いろんな人に会うようにして、今までの友達を大切にしようとした。そうしたら、なんだか少しずつ変わっていった。なんでも話せる友人が出来た。いや、違う。僕が何も話していないだけだった。素直にFacebookに思ったこと、書いていたら、久しぶりの友人から飲もう、誘われるようになった。とっても明るくて、いつも周りのことを考えていて、底抜けの優しさがあって、すごく真面目な友人。尊敬していてまたあえるものなら会いたいと心に強く秘めていた人がいた。奇跡がおこった。会いたい、なんて言ってくれるじゃないですか!本当に、飛び上がる想いだった。30歳にもなって、人生初めてのコンパにも行ってみた。(あー書いちゃった・・・)そしたら、奇跡的にお誘いを受けてデートもしてみた。失恋をきっかけにマイペースかもしれないけど、変わると決めたら、ちいさな奇跡が少しづつ起こり始めた。


誕生日。人とのつながりを改めて認識できた日。いままで出会ってくれた人。このブログを読んでくれている人も含めて、ほんとうにどれほど支えられているか。感謝しかありません。ほんとうにありがとうございます。みんなが、幸せな1年をおくれますように。




2015年1月11日日曜日

写真に必要なもの〜自分と真剣に向き合う勇気














いまでこそ、旅でも人を撮るようになった。でも、どこかで逃げている。腰が引けている。そんな写真がたくさんある。

写真学生時代、何から逃げたって、人を撮るこだった。人が撮りたいと思っても、できない。そう決めつけて逃げた。それがものや街の景色であれば逃げることはしない。僕は、人とコミュニケーションを撮ることを極度に恐れていたし、自分がしゃべれないというコンプレックス。人だけが撮りたい、そういうわけではないができない。それがストレスだった。カメラを見ると吐き気がするほどの時期もあった。旅に出ても、カメラを持って行かないことすらあった。でも僕はまた写真と出会った。またやりたいという想いもあった。そんなタイミングで、『写真と向き合ってみたらいいかもしれない』尊敬する方にそんな言葉をもらった。そうか。写真だ。







写真を撮る行為は、指を少し動かせば完結するのかもしれない。でも、そこには被写体への愛が必要だし、愛を表現するために一歩踏み出す勇気がなければいけない。一歩踏み出す勇気。自分がいいと感じたものに正直にシャッターを押す勇気。写真には勇気が必要なんだ。こないだ久々に人を撮ろうと思った。撮りたい。そう思った。まっすぐで、可愛らしい素敵な女性。勇気をふりしぼって、写真をとらせてもらうことにした。写真と向き合うこと。それは、自分と真剣に向き合うことなのかもしれない。







2015年1月9日金曜日

英語を学ぶということ。〜言葉を学ぶんじゃない、そのちょっとした口癖から垣 間見える価値観。愛。

僕の英語の先生であり、大切な友人。

彼女とは10年以上前、シンガポールから成田への便で隣同士だった。なんて話しかけられたかは忘れてしまったが、いろんな話をして多いに盛り上がった。旅のこと、家のこと、ほんとにプライベートなこも。すごくどもる僕のこともあまり気にしていなかった、そうして成田に着いた。改札手前の柱の前でふたりたたずんでいた。少しの沈黙の後、彼女がこう切りだした。『英語勉強したいなら、私にたくさんメールして、そうしたら間違えているとことがないかチェックしてあげる。』の明るくて優しくて、ジャッキーはいつも素敵な笑顔をいつもまとっていた。そんな彼女との付き合いはそこから始まった。

僕はしばらくして、近況をメールした。日本の様子も話したりした。やりたいこと、旅の話、など話題はつきない。彼女も近況や、家族のことなどをメールしてくれた。僕の英語も間違っているところがあれば添削してくれ、こんな言い方はしないよ、と教えてくれた。彼女も、自分のことをいろんな表現でメールしてくれた。こんな風に言うんだなんてものすごく勉強になった。カナダで英語教師をしていたという彼女の英語は本当にわかりやすい。シンガポール人だと思えないほど。それに彼女の性格だとも思うし、英語という言語の特性なのかもしれない。メールなど彼女は必ず最後に、相手を思いやる言葉が入っている。それも僕だけじゃない。僕や、家族、それに友人まで幸せを願う言葉が書いてある。そして、僕がお母さんを大切にしているかとか、家族と時間を過ごしているのかとか、そんなことをいつも気にしていた。ぼくらは、10歳ほど離れている。彼女は、僕のことを弟のように接した。怒られることもあった。おっちょこちょいで、よくものを落とす僕に、『なんでそうなの??』そんな台詞をよく聞いた。(笑)僕もそんな彼女を姉のように慕った。そして家族も僕を受け入れてくれ、もう一つの家族が出来たよう。本当にあたたかい。

彼女自身、本当に家族想いで、友達想いで、いつも笑顔で明るくて。そして、強い芯を感じる。ここ10年ぐらいの付き合いで、僕は彼女からかなり影響を受けた。やっぱりどんな言葉を口にしているかで、その人がわかる。そんな彼女から学んだものは英語だけじゃない。彼女の価値観そのものだった。人から英語を学ぶ。それは、言葉を学ぶ以上に、その人の口癖、考え方、価値観も学ぶこと。僕は、いつも相手の幸せを思う言葉が言える彼女がすごく素敵だと思っている。彼女なりの人への愛。僕は、そんな彼女の素敵なところを英語とともに吸収している。

そんなジャッキーの家族の記事はこちら


旅歩家 HIROSHI KIKUCHI


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2015年1月5日月曜日

やまよりうみがいい。自分を取り戻す時間。



うみ。
何もせず、考え事をするなら、やまより、うみがいい。
静かで、単調な波の音。単調な動き。
子供や女の子たちが騒ぐ声。

夕陽がもうすぐ落ちる。
ここに座って、自分を取り戻す時間。





旅歩家 HIROSHI KIKUCHI



『餅より日の出』〜旅に彩りを与えてくれた雲取山荘



僕は2015年の始まりを雲取山の上で過ごした。この山頂から見える山々の稜線たちが本当に素敵。2014年の終わりを飾るサンセットをみた。5時前にようやく雲取山荘につくと、振る舞っていたのは甘酒。暖炉で木を燃やしている。震える手を暖めた。僕らは受付を澄ませ、会計をして、部屋に案内された。

初めての山小屋。中には先客が8人ぐらいいて、こたつで暖まっていた。こんにちは。そう声をかけて入る。僕らもせまいこたつに足を入れ、僕はカメラとバッテリーもこたつに入れた。少しの世間話をして、笑った。みんなは山荘のご飯を食べると行ったが、僕らはお肉と、お酒を持ってきていた。準備をして、自炊専用の小屋に向かった。

自炊小屋もそんなに大きくないきゅうぎゅうに6人すわれるテーブルとイスが縦、横にスペースを無駄にしないように配置されていた。先に食事をしていたのは、山ご飯ならぬ、山おせちをしていた・・・すごい。そして、狭い中、つめながらも隣に座ったのは明るい感じの若い女の子2人組。一人はモデルさんでもう一人は写真スタジオのアシスタントと言った。キムチ鍋をするそうだ。食材を細かくジップロックに分けて、さすが女の子。僕ら男二人は、肉を食おう、豚肉のステーキ肉と牛肉、サーロインステーキ。焼くだけ。そしてごアルファ米とともに食べた。

とりあえず、ビールで乾杯し、WILD TRUKYというウィスキーのミニミニボトルを飲み、クリスマスで飲み損ねたスパークリングワインを開けて、周りの方にもおシェアしつつ話をしながら飲んだ。楽しい。2014年がもうすぐ終わる。食事を終え、食堂に行くとテレビで紅白歌合戦がやっていた。紅白を見ながら友人とだらだら楽しい時間を過ごし、いろんなひととお話できた。僕は、お酒がないとなにもしゃべれない。けど、お酒が入って楽しく話せるようになるならそれはそれでいいか、そんな自分を受け入れることにした。飲んだ量はたいしたことなかったが、偏頭痛がきてしまった。かなりひどい。飲み過ぎなんかやない。きっと、標高のせいだ。
体調がかなりきつくなってきて、でもこのカウントダウンまで起きていないと後悔する。2014年も終わりが近づいた。そんなタイミングで闇鍋タイムが始まった。雪がパラパラふっていたが、外に用意された鍋をみんなでつついた。入っているのはおでんだけど、中にはスーパーボールが入っている。それを当てた人が、景品を手に出来る。僕は気持ち悪かったけど、少しだけ鍋をの中身をとって食べた。まあ期待していなかったけど、スーパーボールは入っていない。うん、でもそれどこじゃない。樽酒はさすがに遠慮した。








カウントダウンが始まった。写真をちょっと撮って、もう後悔はない。2015年が始まるのは見届けた。そんな想いで僕は部屋に直行する。6畳ほどのスペースに布団が重ね重ね隙間なく敷いてある。僕は入り口の真ん前になったが、そんなことは気にしていられない。僕の上で部屋の出入りが何度となくされるが、僕はどこでも寝ることができる。それに体調が良くなかったのですぐに寝ることが必要だった。友人Yは入り口から離れたところだったが、後にあんまり寝ることが出来なかったと言っている。どうやら僕の自慢できる才能の一つのようだ。鈍感とも言う。



翌朝、目が覚めると、すっきり体調は全快していた。2015年最初の朝。餅つきをするらしい。友人Yは神戸の実家に帰るために早めに下りると言った。僕は、餅を食べてから下山するつもりだった。雲取山荘から山頂までは30分ぐらい登らなくてはいけない。でも、とりあえずはお餅を食べるにせよ初日の出を見るためには先に出るという友人Yと出発しなければ間に合わない。初日の出は見たい。でも、お餅は食べたいからといってそのために戻るのはめんどくさい。僕は『餅より日の出』を選ぶことにした。





正解だった。富士山がはっきり見える。少なくない人が雲取山山頂付近で同じ方向を向いている。待ちわびている。願っているのだ。きれいな初日の出が見たい。そして、寒い、と。そんな場にいることが嬉しかった。みんな同じ方向を向いて、同じようなことを願い考えている。そんな場面に心のシャッターを押した。もう少し。ここで友人Yは先に下山した。歩きながら朝日を楽しむという。そして、太陽が顔を見せる、そんなときにカメラのバッテリーが切れる。iPhoneも寒さで充電100パーセントになっていたのに電源が落ちる。あー、と思っていたら歓声があがった。写真は撮れない。けど、心に焼き付けてやる、そう思ってゆっくりと下山を始めた。


そんなわけで、2015年は最高の旅でスタートを切ることができた。楽しい旅をありがとう。


雲取山荘 ホームページ

http://www1.ocn.ne.jp/~kumotori/




旅歩家 HIROSHI KIKUCHI