今朝、僕はモーターサイクルダイアリーズを見た。ずいぶん前に一度見ていたのだけど、座間味をバイクで一周するときになんとなく思い出した。そんなこともありもう一度見たくなって借りてきた。ビデオ屋のホップでは、若かりしチェゲバラをスケベで今の若者と大して変わらない、と評していた。スケベって・・・。と思いつつ、やっぱりこの映画、同じ大志と夢を持った青年がしばし併走する物語である。というナレーションで映画ははじまる。バイクで南米を旅する中でいろんな出来事、出会いがある。医学生でもあったゲバラは旅の道中、ハンセン病患者との出会いや、最下層の労働者との出会いなど南米の現実を目の当たりにする。ひどい喘息の発作に何度か襲われつつも、その旅で彼の何かが変わってゆく。人のためになりたい。それが、いま誰もが知る『チェゲバラの原点』なのだとすると、僕は彼に親しみを持てる。旅で、何を感じて、自分がどう変わっていくのか。少なくとも、この旅は彼を変えた。
気持ちよかった。赴くままに走った。一周だいたい3時間もあれば余裕で回れると聞いていた。まあゆっくりと島の北を目指した。南側は一周できるが、北側は果てまで行ったら戻ってこなくてはならない。途中の海でねっころがったりしてゆっくり過ごした。
なんだか島の半分の北側を回っただけ、座間味の集落付近に戻ってきたあたりで、バイクを返さなければならない3時間を過ぎようとしていた。全部回りたかった。今しかない。バイクは延長すればいい。僕はバイクを走らせ残りの南を回った。やっぱり正解だった。高月山展望台。素晴らしい景色だった。ベンチに座っていた青年。双眼鏡を持って、海を眺めていた。ひとしきり、景色を楽しんだ後、彼に声をかけてみた。何を見てるんだろう。そんなことが気になったのだ。声をかけると僕らは目があった。澄んでいてまっすぐな目。どこかで見たことがある。『ホエールウオッチングのクジラを見ているんです』そう答えた彼。わかった。昨日行った居酒屋のお兄さん。昼間はこうやってクジラを見て、夜は居酒屋で働いているんだそう。19歳。那覇の生まれ。外国の船に乗って、一度船が出ると何ヶ月も帰ってくることができない。そんな仕事をしていたが、体を壊し、その仕事は辞めた。そうして彼はいまこうして座間味にいる。彼の言葉の節々にクジラへの愛が感じられた。漁師さんたちはクジラを追いかけ回すのがかわいそうと言っている。そう言っていたが、彼もきっとそう思っている。座間味の海はクジラたちが愛を育む海。親子のクジラも多い。そのお母さんクジラに近づきすぎることは多大なストレスを与える。クジラにのびのびしていてほしい。ホエールウォッチングを観光資源にしつつも、こうやってクジラを追って、見続け、毎年クジラがこの海に帰ってきてくれるように愛をもって細心の注意が払われている。
靄がかっていますね、そんな話で、これは『PM2.5』なんだと彼は言った。こんなところで、そんな言葉を聞くとは思わなかった。自然現象としての霧、靄。それから中国からくるこの 霧、靄。似ているようだけど全然違う。自然現象としても靄は雨が降ったりするとすぐに引く。でも、そのそれはずっとのこる。ずっとそこにある。だからわかるんだと言っていた。彼自身の体も、その違いには敏感なようだった。『PM2.5』でよく体調を崩す。そう言っている。なんなんだろ。こんな素晴らしい海には『PM2.5』が靄がかっている。最後に彼の写真を撮らせてもらった。ありがとうをいって、僕はそこを後にした。そんな直後、一緒にクジラを見て夕日を見にいったMさんとばったり再会する。そこでまたまた、長話。いいやもう。船に間に合えばいい。ダメなら次の日の船にすればいい。割り切った。バイクは延長しても、お金がかかるだけ。彼女の写真も撮った。あまり写真に入ることが好きではないって知っていたけれど、再会した時あのアニーみたいだと思った。撮りたい。正直に伝えたら、可愛く撮ってね、そんなことを言ってくれた。
最後の最後女瀬の崎展望台の展望台。時間がなかったので、階段を小走りに駆け上がった。海を眺めていたら何かが動いているのがわかる。わかった。クジラだ。奇跡的に、肉眼でクジラが見えたのだ。子クジラがジャンプしたり、しっぽを見せていた。その感動を伝えたくて近くにいたおっちゃんに、クジラ見える〜!と叫んだ。目が悪いのか見えていないようだった。ギリギリ船は間に合う。そう思って、申し訳なかったけれど話しかけるおっちゃんを遮って、すいません、船が!!と言って立ち去った。那覇行きの船、出港2分前になんとか乗船。さよならの余韻に浸る余裕もなく、お土産もほとんどがハンドメイド感たっぷりで素敵だなと思っていた。けれどなにも買うことがでなかった…でも手作りマーマレードだけは大急ぎで買いました。お腹空いたので。
僕の島旅は終わった。クジラやそれにまつわるいろんな人、想いに触れた気がする。那覇に戻ると、そこはとんでもなく都会に感じた。
旅歩家 HIROSHI KIKUCHI
FACEBOOK HIROSHI KIKUCHI(基本承認いたします。)
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