カンボジア シェムリアップ
しばらくのあいだ、僕はそのゲストハウスで家族のようにあたたかく過ごすことになった。
宿に帰ると当たり前にみんながいた。
そのなか、ロンハイとロンレイという僕と同年代ぐらいの姉妹。
男性は英語がしゃべれるが、女性は待ったく英語はわからない。
この二人だって日本語はもちろん英語だって数字も曖昧なくらいだ。
そして、僕もカンボジア語がわからない。
姉のロンレイらよく笑い、よくしゃべる活発な女の子だったが、妹のロンハイはどんな時だって声を出すということをしなかった。最初は失語症か何かかと思った。それくらいしゃべって何かを伝えようとしない。でも仕草や表情、それに彼女の豊かな笑顔がコミニュケーションをとてもやわらかであたたかなものにしていた。
吃音であったこともある。僕はその彼女にとても親近感を覚えた。
あるとき、僕が外に出ると彼女は洗濯物をしていた。
そうだ、僕も洗濯物をしなければと、彼女の横に座り、洗濯物をさせてとジェスチャーをする。
僕はにこって笑いかけ、それに彼女も応え、笑顔になる。
ロンハイはわたしがやっとくよ、顔の表情と手つきで言ったが、僕は隣に座った。
僕は洗濯物をしたかったのもあるが、素敵な笑顔の彼女のことをもっと知りたかった。
僕が、習らったばかりのカンボジア語を使って話しかけてもにっこり笑顔で、うんうん、といったりしたが、ほとんどの場合にこっと笑顔で残念そうにわからないと首を振る。
一緒に洗濯物をした。
バケツでじゃぶじゃぶ。
そのとき、僕は あっ、っと止まった。彼女も僕のバケツを見て同じように止まった。
タイで買ったズボンから色が染み出ていて、バケツの水が紺色に染まっていたのだ。
白いシャツも入っていたので、一緒に紺色に染まっていた。
ロンハイは、あーあしょうがないなーという顔で僕のシャツを洗ってくれた。
でも、落ちなかった。
その時だった。
彼女は小さな声で、
かすかに、ソーリ~
と言った。
彼女が悪いわけではないのだけど
残念な顔をしてそう言った。
初めて彼女の声を聞いた。
言葉がわからないというのもあると思うし、シャイだったり自信がなかったり、いろいろあったんだと思う。
なにを言われても言葉以外の方法でしか、答えられなかったんだ。
言葉じゃない。
僕は、どもる。
でもきっと大丈夫なんじゃないか。
相手を思う気持ちさえあれば大丈夫。きっと大丈夫なんだよ。
そう、言葉だけがコミニュケーションじゃない。
表面的なことばかりにとらわれすぎていたかな。
明日バンコクに戻ると決めた日の夜、小さなホームパーティーをしてくれた。タイスキのような鍋をみんなで囲った。最高に楽しかった。彼女はあまり僕の目を見なかったが、人を介していろいろ話してくれた。黙って、僕のお皿をとったかと思うと黙って盛り付けてくれる。こちらは見ないが、優しさに溢れた少しだけ嬉しそうな横顔。
翌日の朝、宿からのピックアップバスに乗るはずだった僕は寝坊してしまい、急いで荷物をまとめて慌てて玄関先で掃除をしていた彼女に近寄った。
バスを待たせていたが、僕は急いで精一杯の感謝の気持ちを英語、途中からは全部日本語でまくし立てた。
彼女は固まったまま僕の目をずっと見ていた。
言葉なんてわからなくてもいい。
きっと伝わった。
それから僕は、バンコクから南下し、マレーシア、シンガポールへ旅立った。
いまも彼女の笑顔は、僕の胸で大切にしまってある。
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