WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』
これは、僕の生きてきた証。
自信をなくして勇気が出なくなったとき『自信って自分を信じること』何回も自分に言い聞かせた。
あれは自分に向けた言葉。旅によって自分の生きる場所を小さいながらに見いだしてきた。
いろんなことがあった。楽しいことだって、受け入れがたいことも。
でも旅は僕を救ってくれた。僕の写真と言葉で大切に、勇気づけられると言ってくれる人がいるなら、
僕はあなたにこころを込めた贈り物をしたいと思います。
WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』(https://tabi-photo.stores.jp/#!/)にて、旅で見つけた宝物のメッセージポストカード、販売中。

2014年5月15日木曜日

式根島旅日記〜開放的な露天風呂『松が下雅&足付温泉』、島唯一の居酒屋千漁

ご飯を食べ、昼寝もして、海にも少し入った。

17時をすぎようとしていた。

とりあえず風呂に行くことにする



島でいくつかあるお風呂の中で
地図を見ながら
なんとなーく、感で、ここ、って決めた。
















散歩しながら歩いた。





ここだ。

足付温泉とその手前に作られている松が下雅温泉。
無料で入浴できる海中温泉であり、露天風呂。
わき出している温泉は熱いのだが海水との割合でその温度は熱かったりぬるかったりするようです。
式根島にはそんな温泉が何カ所かあります。

ここだと思ったものの、あまりに開放的な温泉だった。
何も調べていなかったので、まあうれしい誤算か。

夕日を眺めながらお風呂に浸かれると思い意気揚々だったが、あることに気づいた。


混浴。水着着用。

まじかよ。僕は水着をおいてきていた。
夕暮れをみながらお風呂に浸かれると思っていた僕はがっかり。




水着を持ってきていなかった僕は、片道30分をかけて我が家のあるキャンプ場まで戻ってかえってきた。

キャンプ場に戻ると、きれいなサンセット。




再びお風呂についたときには少し暗くなっていた。

人も少なく星空でもみながらゆっくりできるのかなと思ってわくわくしてくる。



すごくぬるくて寒かったので温泉が湧いているできるだけ温度の高いところを探してあったまった。

ぼーっと二時間ぐらい。空を見上げたり、何も考えなかった。

(何となくとりにくくてお風呂の写真はありません。。)




やっぱりこの島は外国人が多い。

ここでも、ロシア人旅行者と多分ドイツ人旅行者がお酒を飲みかわし、お互いの国の言葉を聞き合っていた。
大きな笑い声。

暗くなってくると人が増えた。
やっぱり星空のもとでお風呂に入りたい人たちだろうか。

残念ながらあまり星が見えるような空模様ではなかった。

帰り道、島唯一の居酒屋千漁で島料理が食べたかった。



しかし、お店に入ると

満卓です!と、入店できず。

すぐ近くで式根島出身のうたうたい、なついちさんのライブがあるとのことだったのでちょっとのぞいてみる。

島の中学生か高校生ぐらいの子たちもたくさんきていて、本当に元気。みんなとても素直そう。

元気をもらったところで、もう一度千漁に顔を出す。

もう閉めましたー

とのこと。

店には23時までと書いてあったけどまだ9時過ぎ。まあしょうがない。

島料理は食べることができなかったけど、キャンプ場に戻ったらきっといいことがある。そう信じて、帰路についた。





2014年5月12日月曜日

式根島の旅日記〜最高峰に登る。そして、海で昼寝。



 

ほとんどの人が島を移動するのにレンタサイクルで自転車を借りて、島を移動していた。
僕はこの島をこの足で歩きたかった。
だから自転車は借りない。




しばらくアスファルトを歩き、分岐を曲がると山道に入った。







この道は、式根島最高峰のカンビキ山(最高峰の山といっても標高100mほど)に続く。



道は歩きやすく、アップダウンもほとんどない。最高峰の山が100m峰だけある。

ほとんど平坦だったというのもあり、歩いては時々走った。

久々に山道を走った。気持ちいい。


しばらくすると森を抜けた。











そして、式根島で一番高いところへやってきた。

振り返るときれいな緑がどこまでも続いていた。



海と緑が見渡せる。しばらく僕は辺りを見回す。



ここにきてよかった。
出発の朝に思い立ってここまでやってきた。
布団からでて、荷造りして、めんどくさいと思いつつもここまでやってきた。
あのまま何も行動を起こさなければ、この景色を目にすることはなかった。
















結局、僕は道を間違えつつ、だいたいの島の外周を3、4時間は歩いただろうか。

僕は密かに、飲食店も商店も数店しかないような、島の中心部をゴールにしていた。







ご飯を食べるためだ。
歩くのに飲みかけの麦茶しか持っていなかった僕は、お腹が減った。

途中商店でお惣菜のつまみ食いをしながらお店を探す。



地図をみると、島の料理を出す島唯一の千漁という居酒屋がある。

いって覗いてみると、2000円ランチでその一種類。チョイスできない。

ならば夜に来ようと思った。
好きなものを頼んで、ビールでものもう。


ピンとくるものがなく、とりあえずチューハイを買って、キャンプ場横の海岸で昼食にした。
船に乗る前、東京駅近くのアマノフーズで買ってきたアルファ米と親子丼をお湯を沸かして調理する。
山ご飯でよく活用しているフリーズドライ。軽くて簡単で美味しくていい。



もう14時を過ぎている。

お腹いっぱいになって、ほろ酔いになり、そのまま昼寝をした。

何も考えない。

贅沢な時間。



しばらくして僕はむくっと起きた。


女の子二人。
一人はぼーっと座って海を眺める


            


もう一人は膝まで海に入っていろんな角度からいろんな方向の写真をとっていた。














僕も海に入る。

冷たい。

遠くの方では中学生ぐらいの男の子が海の先生のような人に海の潜り方を教わっている。
彼らの話を聞いていたが、海に潜りたくて沖縄などいろいろいったがその度に天気やいろんなことが起こりもぐれなかった。

彼は海に潜りたくてここにやってきた。

強い意志を感じる。

中学生の頃の僕は、こんなに明確な意志を持っていただろうか。









2014年5月11日日曜日

式根島の旅日記〜島一周へ歩き出す。










朝だ。
そして式根島に着いた。



ここまで本当に長旅ではあったけれど、快適で、何より洋上でめちゃくちゃきれいな日の出と対峙できた。
最高の船旅。



僕は大浦キャンプ場でテントを張ろう。
そして島で一番高いところにいこう。

それぐらいのことしか決めていなかったし、調べてもいなかった。
なんせ当日の朝に思い立った旅だったので。

港では、旅行者をすり抜け旅館からの迎えの車たちを横目にみて、先へ進む。

大浦キャンプ場→

看板に従って歩き始める。

どんなキャンプ場なんだろうか。
山ではないところのキャンプ場は初めて。












大浦キャンプ場は、海岸沿いにあるので敷地は砂地。
50張ほどの規模で炊事場やトイレ、簡易シャワーなんかもあった。

利用料金は無料。

キャンプ場につき幕営の手続きをしていると、常連さんがであろう人たちが多く受け付け付近に座って世間話をしている。

僕も話しかけられ。

すごい込んでいるよー
テント、小さいやつ?
どっか無理矢理突っ込んで!

そんな言葉をかけてもらいつつ場所探し。


砂地のテント場はぎっちりとファミリーや学生たちのテントで埋め尽くされていた。
狭いので遠慮がちに歩き回り、ようやく隅の隅に小さなスペースを見つけた。

大きなテントに挟まれているこの場所に、急いで小さなテントを張った。



キャンプ場でもらった地図を頼りに歩き出す。

写真家の石川直樹さんが本の中で

旅に出たらまずその町の一番高い所に行くという。
そして町の全景を眺る

そう読んだことがあった。

そのエピソードが僕はすごく好きだ。

ロマンチックで魅力的。

僕は島で一番高いところを目指した。
そして島を一周したい。

そんな思いで僕は歩き出した。



2014年5月7日水曜日

旅の始まり。〜朝日が僕を出迎えてくれた


夜23時。
東京竹芝から船に乗った。





バックパックを背負って、僕は早めに家を出ていた。

それまで、

東京をお散歩したり、




コーヒーを飲みゆっくりしていた。



そしたら、突然の友人の誘い。
これから走らないか?と。

これから式根島行くんだから無理無理!なんて一瞬思ったが、


時間あるじゃん!


と思い直した。

やっぱり勢いは大事。


友人と皇居で走り、
気持ち良くシャワーを浴び、
楽しくお酒を飲み交わした。

めちゃくちゃ楽しかった!

神田駅で別れ、一人になる。



旅の気持ちが高まって行く。








当日の予約でもちゃんと座席は取れたのだが、結局僕はこうやって落ち着いた。


ぐっすり眠れた。


翌日朝、起きた僕は甲板に出て見た。

大島に着く直前で、空が赤らみ、日が出ようとしていた。

夢中でシャッターを切った。




旅の始まりだ。






















2014年5月5日月曜日

船は動き出す。〜式根島、楽しい時間をありがとう。






式根島からの船の出港は特別なことは何もないけど、なんだかとてもぐっときた。

これで旅も終わり。
もう少しここにいたかった。


船からはテープを投げ、
港からはみんなが手を振る

船が離れいよいよというところで
若者何人かが船を追いかけて走り出す。

手を振って、

バイバーイ
また来てねー


と、叫んでいた

これ以上進めないところまで行くと、立ち止まり、その若者たちは手を振り叫び続けた。



昨日僕は、歩き疲れ遅めの昼食を海岸に座りながら食べていた。

お酒も入り、気持ち良くなってそのまましばらく昼寝をした。

海にも少し入った。


同じぐらいの年齢だろうか。僕が座っていると、男性がチラシを持って声をかけてきた。


夜に彼の無料ライブがあるので、ぜひ来て下さい、ということだった。


その時は時間があれば…ぐらいのノリだったが、いってみることにした。



彼の音楽は、本当に明るく、ストレートで、パワーのある音楽だった。

地元の人たちや学校の先生、子供達もたくさん来ていたようだった。

特に、式根島の子供達はとっても元気で、素直そうな子達ばかりだ。

一番前で、彼とので音楽とともに盛り上がっていた。

彼の音楽は、島への愛、家族への愛、大切にしてくれている人たちへの愛。そんなことを歌っていた。

自分のおじいちゃんおばあちゃんを題材にした曲、東京に送られてくる島からの贈り物を題材にした曲、島のことを題材にした曲が歌われていた。

彼は、島出身でかれこれ10年ぐらい音楽をやっているということだった。

今は成功しているなんて言える状況ではないけど、

やり続ければ、絶対夢は叶う。

音楽をやり続けて、成功する!

彼を育ててくれた島の人たち、
島に来てくれた人たちの前で、

そう言い切った。

そんなメッセージを込めて、夢を追う人への応援歌もあった。

ライブも終わりに差し掛かったところ彼は、

式根島は人口約500人からなる小さな島だけど、みんながいつ島にやってきても、

ただいま、
おかえり、

そんな風に言い合える、
そんなあったかい式根島を大切にして行きたい。

彼が言うのだからきっとそんな島の良さは失われない気がする。

若い彼と、元気な子供達がいっぱいいるから。





船が出港する時、

また来てねー。


あの言葉はもしかすると、誰かに宛てた言葉だったかもしれない。

でも、僕の心にも響いた。

ここへまたやってきたら、
誰かが、おかえり。そう言ってくれそうな気がする。

彼が言うような、あたたかい式根島。

楽しい時間を、本当にありがとう。





2014年5月3日土曜日

逃げられるところなんて、どこにもなかった



おはようございます。
式根島より、ブログ更新。

写真は、昨日の船からの朝日。

式根島とは関係ないけど、学生時代の印象に残っこている旅について。

僕は、18歳。

カメラをいつも肩からぶら下げていた。

写真学生の僕。


プレッシャーに押しつぶされそうになり、
カメラを持つと吐き気がした。

1年生の夏。
卒業制作にこれから入って行く。

何を撮ろう。

あれを撮ろうこれを撮ろう。
構想は浮かぶが全くシャッターが切れなかった。

まわりは、ばんばんシャッターを切っている。
自分で焼き付けた写真を嬉しそうに見せ合い、語り合っていた。


僕は、ただ立ち止まったまま。

引け目を感じどんどん卑屈になって行く。

学校にもあまり行かなくなった。



僕は、現実から逃げた。


カメラを持たずに
目的地を決めずに

旅に出た。


京都や広島に行ったんだと思う。

ほんと一日何をしていたのだろう。不思議になるくらい記憶がぼんやり。

僕は最終的に鳥取にたどり着いた。

夜も遅く、鳥取砂丘 に行きたかったがバスももうない。

仕方ないので、砂丘まで歩く事にする。

深夜静まりきった商店街を抜けて、住宅街を抜けて、道はやがて真っ暗になった。

怖くて怖くて、携帯で足元を照らして小走りに歩く。歌も歌った。真っ暗闇のトンネルでは、思いっきり叫んだ。

どれくらい時間がかかったのかはわからない。

僕は、鳥取砂丘についた。

疲れ切っていた僕は少しだけ歩き、その場に寝転がる。
空は真っ暗闇の黒ではなかった。少しだけ青かった。

それがなんともきれいだった。

しばらくその青空を眺めた。





目が覚めたら、もう完全に明るかった。

重たい身体を起こし背伸びをする。
気持ちがなんだかもやもやしていた。


砂丘から鳥取駅まではバスで帰った。

することもないので駅前のミスタードーナツでコーヒーを飲むが、少しだけ胸の奥の方が苦しい。

テーブルの上に置いてあった紙ナプキンに自分のもやもやした思いをぶつけた。

自分はなぜここにいるのか。

思いつくままぎっしりと書き込んだ。

一つわかったこと。

いまここにいるのは現実から逃げてきたんだ。

いまの一番のモヤモヤはそれだ。



帰ろう。

そうと決まったら、もうすぐにでも帰りたかった。
僕はすぐに切符を取った。

その日の夜、僕は寝台特急に乗る。


寝ようとしていた僕の耳に、乗客と車掌の話し声が聞こえた。


女性がかなり切羽詰まった様子で車掌に話しかける。

特急券も充分なお金もも持たずにこの寝台特急に乗ってきたらしい。
もう終電もあるかないかの時間。

どうしても東京に行きたい。
女性は泣いている。

その日の寝台特急はほぼガラガラ。

たげど車掌は、特急券もお金もないんじゃだめ。次の駅でおりて下さい、と。

どんな事情があったのだろうか。
家族に、親しい友人に、なにかあったのだろうか。

そこまでは聞き取れなかった。

女性は、泣き続け、懸命に車掌に話しかけ続ける。

それでも、状況は変わらず。



女性は、あきらめた。

近くのベットに座り、泣き続けた。

僕は、車掌の対応としては当然だと思う。
切符もありません。お金もありません。

それでもそれでも。

と思ってしまう。

女性は、僕が車掌に対して怒りすら覚えざるおえないぐらいに泣いている。

なんとか助けてあげたい。

その思いで、いてもたってもいられずに無我夢中でベットから立つ。

僕は気付くと女性の前にたっていた。

泣いてタオルで覆ったいた顔がジロっとこちらを向く。



…これ、よかったら使って下さい。

どもりながらだけど、言えた。
手には財布に入っていた最後のお札 、5000円を握りしめていた。

僕はもう帰るんだし、大丈夫。そう思った。

こちらを横目で見つめ、
しばらくの沈黙の後、


結構です。


短く端的に、そして冷淡な言い方で言い放った。

そして僕がそこにいなかったの様に、また泣き始める。


女性の言葉が突き刺さった。

別に感謝されたかった訳でもなかった。でも拒絶されたかのようで胸が痛んだ。


僕はベットに戻り、目を瞑る。

誰だかわからない男から、中途半端に5000円もらったところで、どうにもならなかっだろう。
女性のプライドを傷つけたのかもしれない。

余計なことをした。たぶん。
僕にできることはなにもなかった。

ごめんなさい。



僕は、ここへ逃げてやってきた。

でも、ここも現実。
どこにいってもすべて現実。

逃げられるところなんて、どこにもなかった。




式根島に行く〜強がって、ただただ走った日々



職場が引越しをして、今度はほんとうに緑に囲まれた素晴らしい環境でお仕事ができるようになった。

ふと窓の外を見ると、ここがどこかわからなくなる。山深い何処かにやってきたのではないか、そんな風に思う。

ゴールデンウイーク。

僕は、なにやらせっかくの休みをどう過ごすか、当日の朝まで決めかねていた。

ここ2.3日、ほんとうに調子が悪く気力がおちていた。

何をやっても集中できない。
何をやってもやる気が起きない。

今日も、連休の初日にもかかわらず布団からでられなかった。

神様がくれた三連休。

家に居たい。何も余計なことはしたくない。ただただ無心で部屋を片付けて心を平静に保ちたい。

そうとも思った。

でも、僕はお昼近くなって起き上がり、旅の行き先を決めた。

式根島にいこう。

今夜の船を取るために船会社に電話した。




僕は、失恋という大きな痛手を負って一ヶ月ちょっとがたった。

その間、僕はしみったれた人を演じることもなく、普通を貫くことができたと思っていた。

10年前の失恋の時は、ずっとうじうじしていた。
そんな自分に、成長したなんて思って、ちょっとだけ自分を褒めた。

でもその反動が今来た。

人と会えばいつもと変わらず、いや、むしろいつもよりも明るく元気に飲んで遊んで…ただただ僕は走っていた。強がって、忘れようとした。


自分のやってること、言ってることもなんだかよくわからなくなっていたように思う。

でもそれでいいんだ。



立ち止まっちゃダメ。

嫌なことなんか忘れちまえ。
それで前に進めるのなら。

時間が解決してくれる。

テントと寝袋持って、星空の元で眠ろう。

温泉にも入ろう。



僕はもう大丈夫。

ちゃんと強がる強さを持てたのだから。