2014年9月20日土曜日

その投げやりな言葉の裏に大きなエネルギーが秘められている〜生きたい、僕が僕である理由



死にたい。

そう思うことってありますか?
僕はあります。いや、正確にはありました、なのかもしれない。
なぜそんなふうに思ってしまうのでしょうか。

僕の場合ですが、僕が僕である理由、意義、意味のなさを強く感じてしまうからです。

僕なんか僕なんか僕なんか・・・・

こんなはずじゃなかった。こうしたかった。でも自分が出せない。うまく行かない。悩んだ果て、ついにこの言葉が出ます

死にたい


僕はその言葉の本当の意味を教えてくれる人に20歳の時に出会いました。

自分に自信もなくて、何もしていないのにどん底だと思い込み
そこから這い上がることなんかできない、そんなふうに感じた。
そして大切な人との別れもあった。それによる強烈な喪失感。
それらにに絶望して、どうしようもなくて。
そして、力のやり場はなく、そんな言葉が出てしまう。

死にたい。

でも、あの時あの人はこういった。

それは生きたい、そう思うことの裏返し。
死にたいんじゃない。

自分らしく生きたい、少なくともそう生きようとしている。
そうでなければそんな言葉は出てこない。

それができないからこその言葉なんだと気づかせてくれた。

それからの僕は、死にたい、そう思うことは、僕の生きるエネルギーなんだ。
そう思うことにした。


旅歩家 HIROSHI KIKUCHI

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