2015年2月4日水曜日

表現する。生きた証。そして、愛。〜楽しかった余韻を、胸の奥にほんのりと 感 じる

先週、誕生日が同じ二人でいまさらながらささやかな誕生日会。渋谷のほんの小さなおでん屋さん。とてもあたたかいお店だった。ふと横に目をやると隣に座っていたのはかわいいアメリカ人二人とその大学の同級生。おかみさんもあたたかな人で久しぶりに英語でにぎやかに楽しく話しをした。旅で出会った人みたいだった。写真もたくさん撮った。楽しい時間だった。そして、僕は友人と別れ、駅まで帰ると財布がなかった。お店だ、と思って帰るとやっぱりあった。とりあえず座りなよ、というのでもう一杯。帰るタイミングを失った僕は、おかみさんとお話をしながらまたおでんを食べる。かなり酔っていた。最後に、財布見つけてくれたカップルには飲み物代だけ出してお店を出た。



翌日の朝、少し気持ち悪かった。そして、昨日の楽しかった余韻が胸の奥の方にほんのりと残っていた。

自分を表現すること。文書を書くこと、写真を撮ること。
僕自身が、自分がこころ揺さぶられる経験をしないと伝わる文章は書くことが出来ない。
僕自身が、小さくてもたくさんの幸せを感じる場所にいる経験をしなければ、心動かす写真は撮ることは出来ない。もしくは、幸せな経験だけでなく、深く傷つく経験も時に必要かもしれない。

僕は、文章を書き、写真を撮って表現して行く以上、自分の心を揺さぶり、たくさんの小さな幸せの経験、時には自分のこと嫌いになりかけるような失敗の経験も。探し続けて、摑み続ける。それが表現。

僕の心が動くことの記録。



学生時代、人付き合いも、話すことも得意ではない先輩。人前で話すなんて無理、そんな彼女。でも写真が圧倒的だった。とあるコンペの最終審査。著名な写真評論家に自分の写真は何を撮っているのかそう問われ、こう答えたという。


『愛です』



それ一言。突き刺さった。そうだ、そういうことだ。愛、なんだ。

表現。それは人生そのもの。生きている証。愛。
自分の心を動かす。それが愛であり、表現なのかもしれない。




旅歩家 HIROSHI KIKUCHI

FACEBOOK  HIROSHI KIKUCHI(基本承認いたします。)

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